2008年1月アーカイブ

おせん

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「時代の趨勢、大衆の嗜好。日本という国が自ずから選んだ結果でしかないのです。」

マモルという登場人物がおせんに言った言葉です。

といわれても何のことかわからないでしょう。さてこれから説明するのも大変だ。

「おせん」は私が愛読している漫画です。講談社のイブニングに連載されています。余談ですが他に今楽しみにしている漫画はモーニングの「GIANT KILLING」です。網本将也恐るべしです。話をおせんに戻しましょう。いまの物語の舞台は鹿児島県は指宿市山川町、鰹節の名産地、お話も鰹節にまつわるお話です。また横道にそれますが、山川町は義弟の出身地でそのお父さんがとても良いところだから一度おいでと言っていただいていました。がいけないんだろーなー。

もとい、でおせん一行が本枯れ節(本物の鰹節)を求めて山川町まできたところに、事件が勃発訪れた鰹節工場の取引先が倒産、あてにしていた銀行の融資も何者かの差し金でストップされ鰹節工場は倒産寸前、そこへ表れたのがくだんのマモル、亡くなった彼の父は日本一の本枯れ節の職人でその名は東京でも知られており、おせんは幼少のころからその本枯れ節の味に親しんでいた。そのまもるは今では大手食品メーカーの手先として働いており、幼なじみのさとるの工場を手にいれてパック入りの鰹節をつくる工場とするために裏で手を回していた。そんなマモルに亡き父の墓前でおせんが問うた。

「この国から本枯れ節が亡くなってもいいんですか?あなたのお母さんが誇りにしていた本枯れ節がこの世から亡くなってもいいんですか?」

マモルが答える。

「たとえこの世から本枯れ節が無くなったとしても私共はそれを無くすことを目的に事業をしたわけではありません。時代の趨勢、大衆の嗜好。日本という国が自ずから選んだ結果でしかないのです。」

ちょっと解説が必要ですね。本枯れ節は一級品の鰹節長い時間掛けて何度もかび付けし、乾燥させ熟成させた一品です。ですが市販の鰹節パックは鰹節になる前の柔らかい鰹節の原料を削ってパックしたものがほとんどだそうです。原材料に鰹節とは書いていないそうです。


日本人の嗜好だと言われてしまえばそれまでですが、食品メーカーが売ろうとしてコマーシャルという名の教育をした結果ではないのでしょうか。真実がわかっていれば誰もそれを欲しいと思わないでしょ。色んな食品偽装も同じですね。真実を知れば誰も買わない。


僕は、作る側、売る側の倫理の問題だと思う。鰹節と謳うのであれば鰹節を売るべきだ。鰹節もどきを売るべきではない。農水省もそれを許すべきではない。


歯科矯正医も同じですね。「患者さんが前歯のでこぼこだけとれればいいから」そこだけ治してお金をもらうそれは医療ではないですね。だってそんなのすぐ戻ってしまうもの。きちんと噛むように新しい秩序を作らないとすぐに前歯のでこぼこなんて戻ってしまいます。


社会保険庁ですら情報をきちんと伝えないでごまかして年金特別便なんてヒトを馬鹿にしたような通知を送っていた。たたかれてちょっと情報を追加してもう一度出すなんて言ってる。これはおかしいでしょ。と私は思う。だから自分の仕事ではごまかすような事はしたくない。患者さんに十分情報をお伝えしたい説明したい。でも時間は無限ではないんですよねー。

生きているんだ

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先週の木曜日いつものお花屋さんに行ったらお休みでした。それで淵野辺駅に行くついでに南口から公園にいく途中の八百屋さんの軒先で営業している花屋さん(すいません、名前知りません)で玄関に飾る花を買い求めた。横に広がる腕のように張り出す緑があるアレンジで「お!ちょっと違うぜ」と思っていた。そしたら23日すると黄色の花は咲くわ、ケイトウみたいのは伸びて赤く色づくわ、日々表情がかわり毎日見ていて飽きません。切り花でも生きているんだということを改めて思いました。

さて、矯正歯科にいらっしゃる患者さんも勿論生きています。そして皆さんそれぞれ個性をお持ちです。その個性の一つが歯並びあったりするわけです。ちょっとした歯の生え方の不具合で機能的に問題が出てしまう場合は勿論治療が必要です。ただ、ちょっとした歯のでこぼこだったり、ちょっとした出っ歯だったり、これはその人の個性ともいえるわけで、どーしても治さなくてはいけない部類のものではないかもしれません(反対咬合は機能的に問題が生じやすいのでなおした方が良いと思います)。ただ、綺麗な歯並びの方が生きやすい(メリットがある)社会もあるので治そうと思うひともいるでしょうし、本人が綺麗な歯並びになりたいと切望する場合もあります。このような場合は治療の対象となると思います。

さて治療に際してさしあたって装置をつければ歯は動きます。装置をつけなくたって歯にある程度持続的な力を掛ければ歯は動きます。患者さんが気にされているでこぼこはすぐに治ってしまいます。では、その段階で治療を終わりにしてもいいのでしょうか?答えは否です。上下の噛み合わせがきちんとしていないとすぐにでこぼこは戻ってしまいます。矯正治療は悪くなった所を修復する治療ではありません。全く新しい噛み合わせを作り上げる治療です。ですから作り上げる噛み合わせは理想的な状態である必要があります。顎の関節と調和のとれた位置に作り上げられた上下の噛み合わせが機能しきちんと噛むことで並べた歯がそこにいることができるのです。それでも人間は生きていますから5年10年の単位では多少の後戻りは生じます。気になる場合は再治療で対応することにしています。

矯正の治療法には流行り廃りがあるそうです。私は矯正の勉強を始めてから一貫したコンセプトの下で治療を行っていますので診断基準が大きく変わったりはしていません。ただ、最近は抜かない治療が流行っているようです。たいていは流行りはアメリカから新しい装置とともにやって来ます。抜かない矯正の流行りもそういった要因があると思います。私もできたら歯はぬきたくありません。でもより綺麗な顔貌にしようとするとやはり歯を抜いて前歯の位置をきちんと良い位置にしてあげないといけない症例が確実に存在します。拡大の効果にしても上の顎はある程度拡大できることが文献的に明らかにされていますが、下の顎についてはそのベースが広がるといった文献はありませんし、拡大した歯列が維持されるといった結果の信頼できる文献を私はみたことがありません。(私が不勉強なだけかも知れませんが)

どんなに技術が新しくなっても人間は変わりません。ガンダムに出てくるニュータイプでもそんなに体の構造は違わないでしょう。人間が変わらないのに診断を変えるというのは結果が変わるということを意味します。徐々に変化が起きているため分かりづらいですが、前歯が前方に突出し、より唇が閉じにくい状態、美しくない口元になっているかもしれません。

ゴールデンスランバー

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ビートルズの名曲がタイトルになっています。伊坂幸太郎さんの小説を読みました。先週発表の準備が終わっていないにもかかわらず、ラジオで聞いた書評が気になり10日木曜日にTSUTAYAで購入、忙しいといいながら土曜日には読破していました。やらなければいけないことがあるときが最も集中して読書ができるという癖は学生時代と何らかわっていません。試験前にはよく本を読みました。ま「自己逃避」というやつです。今回も自己逃避ですね。でも面白くない本はよめません。この本は掛け値なしにおもしろいですよ。娯楽小説、スリルとサスペンス、映画化も視野に入れているんではないでしょうか。

現代の日本、事件の場所は仙台、首相公選制となった日本で首相がラジコンヘリによるテロで暗殺された。犯人に仕立て上げられた青柳雅春が警察から逃げきれるか。自らの潔白を白日の下にできるか。どきどきしながら一気に読んでしまいました。第一部で事件がおこります。第二部で事件を取り巻く人々が描写されます。第三部で事件の20年後の顛末が語られます。第4部で青柳雅春が逃げます。第5部で事件の3か月後が語られます。最後のシーンは秀逸です。泣いてしまいます。ほら今も涙が出て生きた。

インターディシプリナリーデンティストリー

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一月も、もう半分過ぎてしまった。月日の経つのがとても速い。1月4日以来の更新である。その間何をしていたかというと、前半は仕事したくない病、先週末はプレッシャーに負けていたのである。13日の日曜日にパシフィコ横浜のアネックスホールで開催された、「神奈川県歯科医師会第6回学術大会」で発表をしてきました。

事の起こりは、昨年9月に神奈川県歯科医師会から送られてきた演題の募集をみたからである。何気なく読んでいると、

「開業歯科医師の臨床に即した内容で発表してください。発表者が日常臨床に於いて責任を持って行っていることであれば内容は問いません。」

とあるではないか、開業2年目たくさんの患者さんからご来院いただくためにアピールに使えるものは何でも使おうとその時の私は思った。らしい。その時の僕は凄くアグレッシブであったし、1月13日は遠い未来で絶対に来ることはないと思っていた。らしい。

案の定、土壇場まで準備は完了せず1月の私はふーふー言いながら原稿をつくり、同時に9月の私を呪っていた。

金曜日にスライド、原稿とも作り終え、新潟大学の後輩のF嶋先生とT巣先生相手に予演を行い、だめ出しをされ準備万端、日曜日の発表を迎える予定であったが、やはり初めての場所は緊張しする。ゆっくりしゃべりすぎ予定時間をオーバーしてしまった。ま!無事終わったのでヨシとしよう。

何を発表したかというと以下に抄録を引用します。

インターディシプリナリーアプローチ(連携歯科医療)の実際

 星 隆夫

相模原市歯科医師会 星歯科矯正


近年,医療技術は高度化し複雑化してきています.歯科臨床の領域におきましても,材料や器具の開発に伴う技術の高度化が進んでおり,一人の歯科医師が全ての歯科領域に精通し,全ての領域の技術を習熟することは極めて困難な状況です.このような医療環境の中で良質な医療を提供していくための一つの方策として,各領域の専門医と連携をとりながら患者さんを治療するインターディシプリナリーデンティストリー(連携歯科医療)があります.

連携歯科医療とは幅広い診断能力を有する一般歯科医師と一つの領域に習熟した専門医との連携,あるいは専門医同士の連携の中で,一人の患者さんの治療・管理にあたる歯科医療形態です.なぜ複数の専門医が協力して仕事を進めなければいけないのか?その理由の一つは先にも述べましたように一人の歯科医師が歯科治療に関わる全ての知識を把握できたとしても、全て分野に精通して、個々の患者さんに応じて適した技術を駆使することは極めて困難であるからです.また、複数のドクターが携わることで治療の方法に対し議論がなされ、一人の歯科医師の思い込みではない、より良い治療方法が選択される可能性が高くなります。連携歯科医療は安全で質の高い治療を切望し多様化している患者さんのニーズに対応するシステムです.

私がこれまで矯正歯科医として関わった連携歯科医療の症例について報告したいと思います.

症例1:矯正初診時年齢30歳9か月の女性.下顎右側第一大臼歯の歯冠崩壊に伴う第二,第三大臼歯の近心傾斜および咬合の乱れの改善を依頼された症例.11.6か月のマルチブラケットでの治療を担当した.その後,依頼元の歯科医師により下顎右側第一大臼歯部への下顎左側第三大臼歯の移植,またその後の歯冠修復が行われた.

症例2:矯正初診時年齢61歳6か月の男性.補綴科歯科医師により上顎前歯部のブリッジ作成の前処置として下顎前歯の叢生とdeep overbiteの改善を依頼された症例.最も歯肉の退縮した下顎右側中切歯を抜歯し19か月マルチブラケット装置を装着し矯正治療を行った.その後,依頼元の歯科医師により上顎左側中切歯部にインプラントを用いた欠損補綴が行われた.


何のことはない。私は矯正専門医です。腕前はこんなもんですよ。患者さんできたら紹介してください。という発表でした。こんな発表を聞いてくださった先生方ありがとうございました。多分届かないとは思いますがこの場を借りてお礼を申し上げます。

専門医制度

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元旦のプログの続きです。できれば元旦にここまで書いてしまいたかったのですが、時間切れで果たせませんでした。と思っているともう1月4日。光陰矢のごとし。私事で恐縮ですが、このお正月は私の愚息にとっては良いお正月であったと思います。

さて、遡ること数日、大晦日の朝日新聞のトップニュースは「専門医師認定54人不正ー01年以降臨床歴など偽る」というタイトルでした。1年の最後のトップニュースに持ってくるのですから朝日新聞に何らかの意図があるはずです。

専門医制度をめぐる不正についての報道は12月6日に各紙が「昭和大の医師5人が内科認定医試験で診療経験を偽った」と報道がありました。毎日新聞が一番詳しかったように思います。その後12月8日の読売新聞に「東京医科歯科大学でも内科認定医不正6人」と報道されました。

31日は他紙は1面ではこの件について報道していませんので、お役所が意図を持って情報をリークして書かせたわけではなさそうです。情報源が日本専門医認定制機構である事から認定制機構がこのような記事を書いてくれることを望んだか。朝日新聞がうちも医療問題には取り組んでいます。のアピールのために書いたというところではないでしょうか。

泌尿器科学会、麻酔科学会、病理学会、アレルギー学会、消化器外科学会、内科学会、小児科学会で不正があったと報道されています。

逆に言うとこの時期に不正を認定制機構が把握している学会というのは風通しがよく、真剣に患者さんのための専門医制度を作ろうとしている会かもしれません。

個人的な意見ですが、認定制度に限らず制度に不正はつきものです。

その不正をどのように阻止するか、不正があった場合に再発しないためにどのような事を行うか?このことが「情報の透明性」を確保した上でなされるのでなければそもそも認定制度などやるべきではないのです。

翻って、歯科矯正の世界ではどうでしょうか?

日本矯正学会が以前より認定医制度を行ってまいりました。その認定医制度は2001年までは認定基準が書類選考だけという代物で認定医の質を担保する仕組みが十分でないものでした。不正に関しては身内で不正を行ったものがいるのは知っています。その他の不正も見聞きしたことがあります。さらには、学会が実際に不正の調査を行ったいう事実も聞いたことがあります。しかしながらその結果は、何一つ表には出てきません。これからいえることは、日本矯正学会の認定医制度とは患者さんのためのものではなく、学会に所属する歯科医師のためのものであるということです。

このような状況を改善するために事ある毎に学会内部から改革を訴え続けてきましたが、これまでの認定医制度についての反省もないまま、学会はその上に二階建て構造の専門医制度を作るに到りました。認定医をとってから専門医をとるということですね。多くの問題点や不正が指摘されているにも関わらず改革しないまま認定医制度を続けてきた学会に患者さんのためになる専門医制度を運営できるわけがない。と私は思います。

かといって、飲み屋のカウンターで「専門医制度だめだよね。」とくだを巻いていても発展性がないので、自分にできることは何かと考え、日本矯正協会の活動に協力するようになりました。

日本矯正協会とは矯正歯科臨床医が集まり臨床の質を評価できる専門医制度の確立目指した団体です。どちらが影でどちらが光かはわかりませんが、日本矯正歯科学会がいい加減な認定制度をつづけていなければ、日本矯正歯科協会は存在していないのですからコインの裏表みたいなものかもしれません。2つの団体が存在し、干渉しあうことでしか患者さんのためになる専門医制度は作り得ないのかもしれません。現在は厚生労働省の指導の下に日本矯正協会、日本矯正歯科学会、日本成人矯正学会の3団体でより良い専門医制度を作るための話し合い中です。(その中でも日本矯正学会は自分たちの保身ばかり考え患者さんの方は向いていない)ここで厚生労働省が出てきましたので、厚労省と専門医制度の関係を説明しておきます。

大晦日の新聞記事の最後の部分を一部引用します。

引用ここから「専門医は02年から電話帳や新聞などでの広告表示が可能になった。所轄する厚生労働省医政局は『不正が極めて悪質で学会が何の対策もとっていない場合、広告表示を認めない事もあり得る』としている」引用終わり。

厚労省のコメントは専門医制度がさも医療の質を担保している様にも読めますがその実情は学会が法人格をもち、5年以上の活動歴と1000人以上の会員数をもち認定制度を施行していれば認定制度の中身に関係なく広告が許されます。つまり外形基準のみで審査が行われ医療の質については厚労省は担保していません。その部分は各学会に丸投げです。もしくは前述の認定制機構に力があればそこで担保される可能性はあります。現在の広告ができる専門医制度について前述のように質が担保されていないではないかという批判に対して厚労省は現在の制度はその医師の専門の方向性を患者さんに教えているだけで質は担保していないと宣いました。さてそんな専門医制度を患者さんが望んでいるのでしょうか。

ということで、みんな自分のことや自分の組織を守ることにきゅうきゅうとして「患者さんのため」という視点が抜け落ちています。

日本矯正協会は現在日本矯正歯科学会と対等な立場で話し合いのテーブルについていますが、最初から相対して交渉を行うためにできた団体ではありません。最初は「臨床矯正を語る会」という臨床医の集まり専門医制度を考える会でありました。その集まりの中で学会寄りの人もいれば、問題を問題として認識していない人もいる。今行動しなければ日本における矯正歯科治療というものは質の悪いものの代名詞となってしまうと危惧する者もいました。ほとんどの人は自己保身のために行動していたのだと思います。そのなかで患者さんのためになる専門医制度とは?と日々自問自答し続けた人たちが日本矯正歯科協会を創ったのだと理解しています。私は大学に在職していましたので、臨床矯正を語る会には参加していません。日本矯正歯科協会設立頃より参加しました。このような流れを考えても、どちらか一方がもう一方を吸収する形ではなく、お互いに影響しあう関係でないと質の担保はできないのでは?との思いを強くしました。

茂木さんも言っているように「未来は予測するものではなく自分で創るものである」

専門医制度も学会がとか厚労省がとか言い訳ばかりではなくより良くするために自らができることは何かをよく考えて「自分たちで創っていく」つもりでがんばっている多くの仲間の先生とまた1年間活動できることを幸せに思います。


綺麗なまとめすぎますね。

謹賀新年

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あけましておめでとうございます。

本年も星歯科矯正をよろしくお願いいたします。

今日の話題は大晦日の朝日新聞朝刊からです。

7面に茂木健一郎さんのインタビューが載っていました。10年後の日本を予測しようという企画のようです。

茂木さんは一昨年の与五沢矯正研究会で養老孟司先生と共に特別講演をしていただきました。その際にお話させていただき、本当に頭の良い方だなと思ったのを覚えています。ただ養老先生の隣でかなり緊張していた様にお見受けしました。

新聞記事に話を戻します。「未来は予測するものではない。自分で創るもの」と最初に言い切ってからコメントを始める。さすがに頭がいいですね。

その上でご自分が思っている考えを述べる。たとえば「古いものは残る」であるとか。「人間は変化の方向を予測するのは得意だがその量を予測するのが苦手」だとか

(例を引用します。

『インターネットがこれからは大切だ』ということは一昔前から論理的には明らかだったが感覚的にヤフーやグーグルがこれほど大きなプレゼンス(存在)になるとは誰も予想しなかった。

引用ここまで)

「人間は変化の方向を予測するのは得意だがその量を予測するのが苦手」このお話は、矯正歯科臨床の問題点と全く一緒ですね。

我々が患者さんの診断をするときに患者さんの資料をみればその人がどんな不正咬合に育っていくか方向性(下の顎が大きくなるか上の顎が大きくなるか、顔が長くなるかどうかなど)は予測がつきます。それがどれくらい大きくなるかはなかなか読み切ることが難しいですね。現在の科学をもってしてもその人が最終的に身長何センチになるかは予測できませんから。内輪話で恐縮ですが上顎が大きくなるタイプの患者さんに出っ歯の治療の話をした後に注意事項として下の顎が大きくなり手術が必要であるというような説明をする矯正専門医の方を私は知っています。この先生は方向の予測すらできないんですね。こんな人は私は専門医ではないと思います。

また話が脱線しました。茂木さんの記事に話を戻しましょう。

最後に茂木さんは今やるべき課題を述べています。それは「官もかわること」官の変化のスピードが遅すぎて弊害が多い、「徹底した人事交流、人材登用の流動化」によって官もスピードアップしなければならないと述べています。ダイナミックな交流を通じてふれあうことで共感し、感化される「感化力」が大切である。と締められています。

大変、意味深い言葉であるともいます。矯正の世界に置き換えてみると、我々が専門医制度を確立すべく行っている活動に光が見えるような気がしてきました。

そういえば大晦日の朝日のトップ記事は「専門医師認定54人不正」でした。

これにまつわるお話は次回にします。

みなさま、本年もよろしくお願いします。

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