結局、忙しさというものも本人の時間のマネージメントによるのだと思う。なぜそう思うかというと、先週の金曜日に新聞の広告で「イノセント・ゲリラの祝祭」海堂尊 著が出たのを知ってお昼休みに買い求め土曜日には読み切ってしまったからである。しなければいけない仕事を後回しにして読んでしまった。そんなことをしているから気持ちと時間に余裕がなくなるのだよ。といわれそうだが、したいことがあるときは嫌な仕事もさくさく片付ける傾向にある。人間とは不思議なものだ。
面白かったです。でもね。まえに、死因不明社会(ブルーバックス)を読んでいたのでネタバレであんまり感動はなかったです。でも著者の医療に対する熱い思いがヒシヒシと伝わってきました。
「つくづく物わかりの悪い人だなあ。たとえ国家は滅びても医療は必ず残る。医療とは人々の願いであり、社会に咲いた大輪の花なんです。」
「医療という花に、欲にまみれた愚鈍な手で触るな」
イノセント・ゲリラたる。房総救命救急センター診断科病理医 彦根新吾のセリフである。
『医療という花に欲にまみれた愚鈍な手でさわるな』
これはまごう事なき著者の思いだと思う。
日本矯正歯科学会(日矯学会)で海堂尊さんは講演してらっしゃいましたが、海堂さんはそこで講演をすべきではなかったと思います。
日本矯正歯科協会(JIO)は歯科矯正領域の専門医制度をより良くするために活動しています。もしかしたら、役割的には海堂さんの描くイノセント・ゲリラの立ち位置です。
そうすると日矯は海堂さんが批判している自分を変えられないかえようとしない従来のシステムです。少なくとも私はそう認識していますし、そうでなければそもそもJIOは存在しません。そこで講演したということは、実際は従来のシステムを容認していると言うことでしょうか。本の内容と齟齬が生じます。でも、そんな人に『医療という花に欲にまみれた愚鈍な手でさわるな』なんてセリフは書けないと思いますので、なにかご事情があって講演をやりたくないのにやったのではと推察しております。
彦根新吾のセリフで心に残ったもう一つ
「思料せず、金科玉条ばかり繰り返し、新しい意見には頑なに耳を塞ぐ。すると学問は濁っていく。アカデミズム、濁ってしまえばバカデミズム。くれぐれもご注意を」
皆さんもくれぐれもご注意を。