「あるんよ、マモルちゃん。自分にうそつかず、まっすぐ仕事しとりゃァその心意気がちゃあんと伝わってな。なんかの足しになる値こともな、マモルちゃん」
さとるのお母さんがマモルちゃんに言った言葉ですね。
とは言っても、これを読んだ人には何のことかわからないですね。昨年の1月26日のこのブログ「おせん」で紹介したお話しの続き、締めの回がやっと昨年12月にイブニングに掲載されました。おせんの掲載されないイブニングを隔週で買い続けてしまいました。「やい講談社、金返せ」オッといけない話がそれた。
とりあえず1月26日の回を採録しときます。
「時代の趨勢、大衆の嗜好。日本という国が自ずから選んだ結果でしかないのです。」
マモルという登場人物がおせんに言った言葉です。
といわれても何のことかわからないでしょう。さてこれから説明するのも大変だ。
「おせん」は私が愛読している漫画です。講談社のイブニングに連載されています。いまの物語の舞台は鹿児島県は指宿市山川町、鰹節の名産地、お話も鰹節にまつわるお話です。おせん一行が本枯れ節(本物の鰹節)を求めて山川町まできたところに、事件が勃発。訪れた鰹節工場の取引先が倒産、あてにしていた銀行の融資も何者かの差し金でストップされ鰹節工場は倒産寸前、そこへ表れたのがくだんのマモル、亡くなった彼の父は日本一の本枯れ節の職人でその名は東京でも知られており、おせんは幼少のころからその本枯れ節の味に親しんでいた。そのマモルは今では大手食品メーカーの手先として働いており、幼なじみのさとるの工場を手にいれてパック入りの鰹節をつくる工場とするために裏で手を回していた。そんなマモルに亡き父の墓前でおせんが問うた。
「この国から本枯れ節が亡くなってもいいんですか?あなたのお母さんが誇りにしていた本枯れ節がこの世から亡くなってもいいんですか?」
マモルが答える。
「たとえこの世から本枯れ節が無くなったとしても私共はそれを無くすことを目的に事業をしたわけではありません。時代の趨勢、大衆の嗜好。日本という国が自ずから選んだ結果でしかないのです。」
ちょっと解説が必要ですね。本枯れ節は一級品の鰹節、長い時間掛けて何度もかび付けし、乾燥させ熟成させた一品です。ですが市販の鰹節パックは鰹節になる前の柔らかい鰹節の原料を削ってパックしたものがほとんどだそうです。原材料に鰹節とは書いていないそうです。
日本人の嗜好だと言われてしまえばそれまでですが、食品メーカーが売ろうとしてコマーシャルという名の教育をした結果ではないのでしょうか。真実がわかっていれば誰もそれを欲しいと思わないでしょ。色んな食品偽装も同じですね。真実を知れば誰も買わない。
僕は、作る側、売る側の倫理の問題だと思う。鰹節と謳うのであれば鰹節を売るべきだ。鰹節もどきを売るべきではない。農水省もそれを許すべきではない。
でね、冒頭のせりふは、マモルの画策により資金繰りできなくなり、倒産の危機にあるヤマニ水産(マモルの死んだお父さんが興したかつを節屋)の本枯れ節をおせんさんがすべて買い取り、マモルの会社に買われて、まがい物のかつをけずりぶしだけを作る工場にはならないといったあとで、さとるのお母さんがマモルにいった言葉です。
(あー説明が長!ホントに面白いから、皆さん単行本で読んでね。あ!講談社が儲かるのはちょっとシャク。)
たいてい、まっすぐな仕事をしている人は、あまりそのことを宣伝したりはしない。この辺は日本人の美意識なんだろうと思う。でも、この漫画を読むまで、僕はパックされた鰹ぶしも鰹節だと思っていた。我々がパックの鰹節ばかり買うので、本枯れ節のような本物を作るひとがいなくなっていているということも知らなかった。それは、食品メーカーが一生懸命、本物ではないものの宣伝をするからである。同じだけ宣伝をしなくても、本枯れ節という存在を知らせてくれるだけで、僕はいつも本枯れ節とはいかないが、本物の鰹節を選ぶ。
矯正の世界もまた同じである。まっすぐな仕事をしている先生はあまり広告をしない傾向がある。あんまり患者さんにいちどきに来られても、対応できないし無理すると治療の質が下がるからね。仕事よりお◎が好きな先生は一生懸命広告をする。そうすると、ほとんどがまがい物の情報で溢れることになる。いまのインターネットの世界は特にそうだ。いくらホームページがきれいでも、医院の写真がキレイでも、矯正治療後のきれいに治った歯列と横顔の写真が載っていないホームページは信用しないほうがいい。それは、その先生にキレイに治す技術がないということだから、それすら、他のページからパクってくるひともいますが。
一つの考え方として、きちんと仕事をしている人も積極的に情報を発信する必要があると思う。本枯れ節の存在を知らしめるという意味において。