エヴィデンス・ベースド

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「あらゆる教育プログラムの効果はエヴィデンス・ベーストで示されねばならぬ、数値的にその効果が示せないような教育プログラムは無価値である」という妄想に日本の教育行政の当事者たちも教育評論家も教育ビジネスマンも取り憑かれている。
これは「病気」を通り越して、ほとんど「狂気」と呼ばねばならないと私は思っている。


上記は内田樹ブログからの引用です。なぜに日本人は学ばなくなったか?という問いに対する答えの最後です。興味のある方は内田ブログを読んでください。

私が思ったのはどこも同じねということと、エビデンス・ベースドという考え方そのものが悪いのではないよね。と思った。

まずひとつめ、どこも同じね。という話。日本の教育行政の当事者は今すべての教育効果を数字で表せるとお思いなのだろうか?そんなの無理に決まってる。エビデンスベースドでは人間がこんな効果があるだろうなと思いついたものしか測れない。しかも、この教育にはこんな効果があると実感していても、その効果を的確に表す数字を思いつく編み出すことは至難の業である。そんなエビデンスをベースに構築したシステムなんかたかが知れてる。

矯正も同じ、すべてのセファロ計測値の平均値を諳んじていても、患者さんの治療方針は立てられない。治療もできない、現代の科学が見落としている何かがあるから、セファロ計測値をこねくり回しても成長予測すらできない。

繰り返しになるが、今の科学が数字で表せないものをないものとしたエビデンスはある一面でしかエビデンスたり得ないと肝に銘じる必要がある。

もう一つエビデンスベースドという考え方が悪いわけでは無いという意味は、結局この考え方を適していないところに無理矢理適用するから問題が起こるということである。もともとは内科領域の慢性病の薬の効果などがエビデンスベースドで見直された。プラバスタチン飲んでも飲まなくても寿命は一緒、であれば、お金はかからない方がよい。ただ、個人で考えたら、飲んだから助かった人もいるだろう。マスでかんがえたときに一人の人を救うために何人に人が無駄に薬を飲むのだろうかということである。エビデンスベースドを用いることが適切な領域とそうでない領域がある。ということか。

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このページは、星歯科矯正が2009年1月28日 16:24に書いたブログ記事です。

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