2009年6月アーカイブ

正しい理解

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今週も忙しい1週間であった.前のブログにアップしたように日曜日には新潟で学会発表をしてきた.月,火と診療し,水曜日は朝からスタッフと千駄ヶ谷におでかけ.10時からJALアカデミーで患者接遇セミナーに参加.丸1日大変でした.かなりダメだしされましたが,星歯科矯正のスタッフは院長が思うより能力が高かった.しかし,言葉遣いと立ち居振る舞いは訓練しないと改善しないことを痛感した.木曜日は昼間はリンガルの講習会,夜は横浜の神奈川県歯科医師会館で野球大会の運営会議と抽選,死のブロックを引き当てチームメイトから切腹を申しつけられてしまった.まいった.まいった.

リンガルの講習会は火曜日に知り合いからバーチカルスロットをもつリンガルブラケットを紹介してもらった.そのホームページをみたら,25日にセミナーのご案内があるではないか!これは天のお導きと水曜日に千駄ヶ谷から電話してみると参加できるとのこと,新しい事を吸収できるかも?と少し上機嫌で過ごすことができた.ですが,そのセミナーとっても期待はずれ!

リンガルの講習会というより,演者の先生の人生記を聞いているようでした.私はこのようにして矯正治療を習得しましたというような.人の基本はパッサーですから,人から習ったことを次の人に教えるという行為は有りですが,自分が理解してからにしていただきたいものである.理解なしに自分が言われたとおりの言葉をパスすると,それは伝言ゲームである.何世代か先には全く違った言葉として伝わる.もしくは伝える価値のないものとなる.是非とも,ご自分が理解した上でご自分の言葉で伝えていただきたいものである.リンガルの講習会と言いつつ矯正治療とはなんぞや?矯正治療で創り上げる咬合とはなにか?から話が始まったのはとてもよかった.さらにリンガルだから質が下がるというのは言い訳で,ラビアルと同質の治療結果にすべく努力すべきだししていると聞いたときには格好いいと思ったが最初だけであった.ご自分では理解していない他人の言葉の羅列と,ブロークンコンタクトが放置された仕上がりのオンパレードを供覧されては,興ざめする一方であった.さらには生体の反応を誤解していた.

「リンガルだから仕上がりで上顎の大臼歯が近心傾斜したまま終わってしまう.だから,セットアップで最初にオーバーコレクションしておいてそれを防ぐ,ほら最近の症例は近心傾斜の度合いがすくないでしょ」

何のことはない,最近の症例はインプラントアンカーを使っているからである.全く持って理解ができていない.上顎の大臼歯小臼歯が近心傾斜して終わるのは,固定が崩壊しているからである.リンガルだからではない.エンマスで6前歯を一度に後退させるからである.その証拠に過去の症例でもヘッドギアを用いた症例は比較的上顎大臼歯は近心傾斜していなかったではないか!繰り返しいわせてもらう,最近の症例はセットアップのオーバーコレクションで改善しているのではない,インプラントアンカーが十分な固定を提供しているからうまくいっているのである.この人はメカニックスをきちんと自分で理解していないと痛感した.我々は,エンマスでは引かない.日本人のほとんどのケースでは犬歯の遠心移動のステージが必要である.そうしないと上顎大臼歯の位置をある程度キープできない.ある時期,多くの日本人の矯正医がアメリカ人がするようにエンマスで引いて失敗していた.それを横目で見ながら学習した.しかしながら,日本中でこの事が歴然とした事実として認識されてはいない.こういう下世話な話は学会にはふさわしくないらしい.失敗と認識しないで近心傾斜させてしまった大臼歯のままフィニッシュしている人もいるだろう.このような状況はいつまで続くのか.

甲北信越矯正歯科学会

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昨日は甲北信越矯正歯科学会で発表のため新潟市まで出かけてきた.インプラントアンカーのシンポジュウムがあった.

今朝,村上春樹のインタビューが読売新聞に掲載されたとの記事を見つけた.

http://www.radiodays.jp/blog/hirakawa/

物語の有用性と「降りていくとはどういうことか?」という問い立てに興味を引かれた.私なりの解釈は「降りていく」とは当事者になる覚悟であると思う.問題を個人の立場で解決しようと努力することだと思う.

この点で鑑みると昨日のシンポジュウムのシンポジスト,モヂュレーター,最初の質問者も含めて,当事者のような顔をしていたが,「問題を解決しよう」という意識はあまり感じられなかった.私自身は当事者であろうと呼ばれてもいないのに演題を抱えて発表にいった.それはなぜか?その理由は多分,新潟大学でインプラントアンカーを初めて使用したのが私だったからである.自分にはそうする責任があると自分で思っただけであるが.

私が使用しなくても遅かれ早かれ誰かが使ったと思う.しかし,現実に最初に使ったのは私だし,「上顎臼歯の頬側に使うのならK1でなくスマップがよい」という カノミ先生の言いつけをまもったがために,新潟大学ではプレート型がほとんどになったのだと思う.周りの人に結果を示し有用性も説いた.いわゆるファーストペンギンであった.生き残ったファーストペンギンには何かしら責任が生じる.

最初にインプラントアンカーを製品化した会社がきちんと薬事を通しておらず,矯正治療のアンカーとしてではなく,骨接合材料として薬事を通した.

そのため,矯正用アンカーに用いた場合は目的外使用となり歯科医師の個人の裁量で使用することとなった.すべての責任は歯科医師にあり,製造者に責任は及ばない.その旨,患者さんに伝えた上で使用しなくてはならない.上顎臼歯の遠心移動や垂直的コントロールなどインプラントアンカーを使用すれば容易に治療ができる症例があり,患者さんのためになると信じている.現在のところ日本矯正歯科学会と矯正機材協議会が厚労省の指導をうけ,薬事を通すべく努力している最中であるらしい.その条件は安全で患者に有用で誰でもできなければいけない.ということらしい.安全の意味は脱落率が一桁であることを要求されているらしい.このことは私は知っていた.一時期行われたインプラントアンカーの講習会は目的外使用であるのでまかりならん.のだそうだ.そのような状況で,どのような手段で安全に誰にでもできるようにインプラントアンカーの植立方法を広めた上で,脱落率を一桁にしろと言うのであろうか.私は医療行政のシステムに瑕疵があるとおもった.でシンポジュウムで質問した.このような状況になったのは医療行政のシステム(薬事法)に多くの問題があるのか?申請した歯科業界のやり方に多くの問題があったのか?と

シンポジストの一人が上記の私が知っている事を私は知っているが当事者ではない当事者は日矯であると前置きした上で前述の顛末を話した.彼はインプラントアンカーの講習会をしていたとシンポジュウムで話していた.そうであればすでに当事者であるべきである.インプラントアンカーが使いやすくなるように努力すべきポジションにいると思われるがいかがであろうか.彼の言葉からは,どうすれば早く薬事をとおして患者さんに適応しやすい環境にできるかという具体的な行動指針は全く見いだせなかった.彼は韓国系マイクロスクリュウのはずれたらまた打てばいいじゃんと言う考え方では脱落率は改善しない.また,インプラントアンカーのタイプを確かめて適切な使用方法で使用せよと真っ当な考え方を示す一方で,矯正歯科医がインプラントアンカーを埋入することを推奨した.講習会もできない現状で矯正歯科医がインプラントアンカーを埋入することを奨励すれば脱落率は下がらない.口腔外科医に症例を集約させ脱落率を減少させ,早く薬事を通すことを考えるべきだと思う.かれはそうはいっても近所に口腔外科医がいない地域もあると言っていた.ではその地域では埋伏智歯の抜歯も困るでしょうから口腔外科医として医師の偏在の問題に取り組むべき,と思うがそうは考えないのであろうか? そもそも,インプラントアンカーが本当に必要な症例の数は多くない.矯正歯科医は安易に使いすぎていると私は思う.発表者にもシンポジストにも重ねあわせも出さずにインプラントアンカーの効果を論じている演者がいたが笑止である.

モデレーターからも何のためにこのシンポジュウムを企画したのかの意図は伝わってこなかった.このような状況でインプラントアンカーのシンポジュウムを企画したのであれば何とか現状を打開しようとする方策を考えるべきなのではないか?そのためには,いかにして現状になったかの原因の分析とそれに基づく今後の行動指針を示すことが重要なのではないか?

なぜ,最初の会社は骨接合材料として申請したのか?もともと,コーポレートガバナンスが最低の会社であったのか?一社単独ではお金がかかりすぎたから?早く発売したかったから?

1社単独ではお金がかかりすぎるのであれば,矯正歯科業界で集まって薬事を通すことも考えられる.そもそも,そんなに利益を生まない医療器具の薬事申請に過大なお金がかかるとしたら,日本の医療行政システムがよくないと言うことになる.そうであれば,政治家に働きかけるなり当事者としての行動が必要になると思う.薬事の申請に時間がかかると言う問題も同様である.システムに瑕疵があると言う声を上げなければ改善の糸口にすら辿り着けない.

インプラントアンカーの現状における問題は患者さんの反応ではなく歯科医師と歯科医師を取り巻く社会との関わりにある.その点を掘り下げなければただの時間つぶしにしかならない.明日からの行動指針にはなり得ないのである.



全く関係ない事を付け足す.あの人は動物実験の結果はEBMのエビデンスにはなり得ない事をご存じ無いのだろうか?

バガボンド

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「又八・・・・・・・」

「この世に強い人なんておらん」

「強くあろうとする人」

「おるのはそれだけじゃ」


京から美作へかえる途中,自分の弱さに愛想が尽きおぶった母親とともに死のうとした又八に母,お杉が言った.


バガボンドが始まったのはNHKの大河ドラマで「武蔵」を放映した頃ではなかったか?

そのせいで,武蔵というとスキンヘッドの歌舞伎役者,おつうと言うと米倉良子,又八というと堤真一を思い出してしまう.堤真一はどんぴしゃ!はまり役!

バガボンドは,まだ連載している.当然のことながら,物語としての重みはバガボンドのほうが100万倍上である.

1Q84

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「禍福は糾える縄のごとし」なので何が幸せで,何が不幸せなのかは難しい問題ではあるが,「海辺のカフカ」を読んだときは自分は不幸だと思っていた.自らの行いだけでは解決できない問題を抱えていた.世の中のたいていの問題はそうであるのだけれども.

「国境の西,太陽の南」を読んだときも問題を抱えていた.

とりあえず,大きな問題がない状態で「1Q84」を読んだ.父を思い出した.病床の父を思い出した.傍らの母を思い出した.私は今ここにいる.

週末「日本矯正歯科協会の第8回学術大会」がアルカディア市ヶ谷で催された.土曜日に診療を早見に切り上げて電車で市ヶ谷に向かった.ロマンスカーが来るまでベンチで「1Q84」を読んでいた.隣に座った女性も本を読んでいた.開いた本のページでは青豆がシャツの上から自分の乳房の形を確認していた.

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